Zene360

日本人のルーツ
「縄文人」とは?

国立科学博物館館長
篠田謙一

日本形成と縄文の関係

#2
土田

先ほどまで、主に北海道や沖縄についてお聞きしましたが、一方で多くの方が住んでいる本土現代人に残る縄文人はどのように形成されてきたのでしょうか?

篠田

 縄文人のDNAの中でも地域差はありますが、私たちは現代の日本人に伝わっているのは西日本の縄文人のDNAが主体だと考えています。それは日本人の成り立ちを考えるとわかります。2万4千年から1万8千年前の最終氷期の最寒期、中国北部の地域で先にお話ししたEDR遺伝子が変異します。人類学者が寒冷地適応と呼ぶ現象です。その新たな遺伝子変異によって、渡来系弥生人の持つ顔の特徴が北東アジアで形作られました。彼らが農耕を始め、朝鮮半島経由で九州から山口県、つまり日本海側から縄文人のいた日本列島に入ってきたのです。そうすると最初に渡来した人びとと混血するのは、西日本の縄文人になります。この混血集団が、人口を増やしていき東進したと考えられます。ですから私たちのベースにある縄文人のゲノムは、おそらく西日本で最初に混血した縄文人のものが主体です。そうなると関東以北の縄文人のDNAは、あまり現代に残っていないことになりますが、最北端に住んでいた船泊縄文人の遺伝子の10%は現代人にも残っています。もし西日本縄文人のゲノムが完全にわかれば、さらに現代日本人に残る縄文人の遺伝子が多くなる可能性はあります。ただ残念ながら西日本では縄文人の完全な骨があまり見つからないんです。骨があっても北海道よリは気温が高いということもあり、ゲノムの保存状態が悪いんですよね。そのため船泊縄文人のように現代人と同じレベルでゲノムの分析ができないのです。今後資金と技術革新があれば分析できると思っているのですが、今の段階では難しいという状況です。

土田

私たちに濃く残っているかもしれない西日本縄文人のゲノムがわかれば、よりZeneの提供する縄文人度も正確になるかもしれないのですね。技術革新に期待ですね。
縄文人が日本列島に入ってきた経緯は理解しましたが、それより前の教科書に出てくるような旧石器人と、縄文人には関係があるのでしょうか。

篠田

 旧石器時代の人と、縄文人はどうつながってるの?というのは、実は現時点ではハッキリしません。ただ縄文人のゲノムからは、彼らは非常に古い時代に、他のアジアの集団から分かれたということは分かっています。ですから旧石器時代の人たちが縄文人になったんだろうと一般的に考えられてるんです。
 けれど最近、港川人という、沖縄の旧石器時代人のゲノム、正確にはミトコンドリアDNAが解析されたのですが、そのミトコンドリアDNAは現代の私たちに直接はつながらないという結果だったんです。そこから、もしかすると日本列島では旧石器時代の人と現代人は関係ないのではないかということも言われるようになりました。
 アジアにおける人の動きを考える時に、2万4千年というのが一つのターニングポイントになります。その時期は最後の氷河期で最も寒冷化した時期になります。その寒い時期から、徐々に暖かくなるにつれて人びとの動きが大きくなります。ですから2万4千年から、縄文の始まりである1万6千年前までの8000年間で、新しく人が日本に入ってきて、それまでいた人びとと混血したか、あるいは交替した可能性もあると思っています。
 何度も入ってきた可能性や、いろいろなところから入っている可能性が考えられています。一番考えられるのは南から入ってきた可能性。ただ船泊など北の縄文人を調べるともっと北の大陸につながっているというのも分かってきて。ですから南北の両側から列島に入ってきているのかなと考えています。でもまだ確かな証拠がないので、この時代の人類拡散のシナリオは明確にはわからないのです。

土田

港川人の結果では旧石器時代の人は淘汰されてしまったのかもしれませんが、もっと祖先遺伝学が進めば現代に残る旧石器人度もわかるかもしれませんね。
ゲノム研究が進むにつれて、現代のアジアの中で、日本人の特異性のようなものは見つかってきているのでしょうか。

篠田

 日本人を他の大陸の集団と分けているのは、縄文人を祖先に持っているためだと考えています。その点が大陸と比較したときの特異性につながるので、非常に重要です。最近の風潮として縄文人にこだわるのは、ある意味では「大陸の人たちと私たちは違うんだ」っていう意識につながっているのでしょうね。
 でもこのような縄文人の特徴がわかる前、戦前のことになりますが、大陸から来た人は当時の最先端の技術を持っていたわけですから、「私たちの先祖は大陸から来た人だ」と考えていました。
 ヨーロッパ人の成り立ちも同様ですね。最初、狩猟採集民がいて、あとからアナトリア(現在のトルコ付近)あたりから農耕民が来て、両者が混合して今のヨーロッパ人の先祖になったと考えていました。最初は狩猟採集民から始まったんですが、ヨーロッパでは自分たちの祖先は農耕民だと思う人が多いようですね。しかし最近の古代ゲノム解析で、実際はその後の青銅器時代に新たな遊牧民集団がヨーロッパを席巻して、彼らが今のヨーロッパ人の主体となったことが分かっています。

土田

日本人だけじゃなく、人類の発展において農耕文化の影響力が非常に大きいということを改めて感じました。せっかく日本人の特異性が縄文人由来とわかった現代に生きているので、Zeneの縄文人度で皆さんに自分の中にある日本人らしさを感じていただけたら嬉しいです。
縄文人が古来日本人で、弥生人は渡来人というナショナリズムが形成されたのはなぜでしょうか?

インタビューに答える篠田先生
篠田

 日本人の成り立ちを最初に学問的に考え始めたのは明治初期です。その頃は江戸時代からの天孫降臨という考え方がありました。現代の日本人は大陸から来た人達の子孫で、それまで日本列島にはたツチグモやクマソと呼ばれた先住民族がいたのだけれど、ヤマトタケルだとか神武東征などでそのような先住民族を滅ぼしていったという認識が下地としてあったのです。そのため先住民族である縄文人が見直されるのは、時代的には実はわりと最近の話になります。「日本の原点は縄文にあるんだ」という考え方に、岡本太郎さんが与えた影響も大きいと言われていますね。
 戦後になると研究が進んで、縄文人が日本の基層集団で、その文化を現代日本人が引き継いでいるという話になってきました。そういった背景があって縄文人が古来日本人だという風に考える方が多くなったんじゃないでしょうか。
 人類学の学史から見ると、大陸から来た人が縄文人と混血して現代の日本人の主体となったという考え方と、縄文人がそのまま現代の日本人になったという考え方がありました。後者は縄文時代からいた人が、大陸から伝わった稲作を中心とした文化を受け入れて、現代人につながったという考え方です。1980年代には人骨の形態研究が進み、また今世紀になって古代ゲノムが分析できるようになって、弥生時代以降の大陸からの影響が大きいことが明らかになりました。
 明治の頃は弥生と縄文の時代区別がそもそもありませんでしたから、今で言う弥生人が古来日本人なんですよね。日本の古代人というのは、大陸からやって来たんだという発想だったと思います。神話で言う高天原から降りてきたという考えは大陸からやってきたということとイコールです。クニが出来上がったのは弥生時代なので、弥生人からが古来日本人と考えることは自然な発想ではありますね。
 結局、文字がないと歴史にはならないので、縄文時代は歴史に描かれなかったということだと思います。文字を持たない人たちの話は歴史に出てこないですよね。さらにいうと縄文人よりもっと前に旧石器があり、非常に長期間だったにも関わらず、なおのこと言及されません。4万年前に日本列島に人(ホモ・サピエンス)が入ってきてから、2万5千年間は旧石器時代であり、そこから現代に至るまではまだ1万5000年しか経ってないのですけどね。

土田

私が学校で学んだ「縄文人と弥生人」が比較的最近の教育だということが驚きでした。今後も研究が進んで日本の古代史がどんどんアップデートされることが楽しみです。